曲目解説    石塚義一郎

 

北海道 

 

ソーラン節 (北海道)

 

元気な(ソーランソーラン)というかけ声によって手元にたぐりよせられる網の中の鰊。春の到来を告げる魚というので(告げ魚)とも書く鰊漁は、昆布とともに北海道の代表的な海の産業の一つです。
建網にはいった鰊を枠網にあつめ、それをタモに組み上げて輸送船に移し替える沖揚げ作業の唄が(ソーラン節)です。
(江差の5月は 江戸にもないと 誇る鰊の 春の海)(追分節)にもうたわれているように、春の遅い北海道は5月にはいると、長い冬をいっぺんにはね返すごとく、この鰊の到来とともに大いに活気づき、臨時雇いの漁夫(ヤン衆)も加わり、大漁にいさみたったものでした。

 

ソーラン節)は下北半島の海べに伝わった(ナニヤドヤラ)系統の(南部節)がいつか豪快な(海唄)に変化したものと(考えられ、歌詞も明るく男の心意気がこもっております。鰊漁の唄は(船漕ぎの作業唄)からはじまり、敷設した網をおこす(網起こし唄)、それにこの(沖揚げ音頭)(ソーラン節)、さらに腹の中の子を落とす(子たたき音頭)など、作業にしたがって別の唄が唄われております。

 

つ津軽じょんがら節(青森県)

 

津軽民謡中(じょんがら)(よされ)(小原節)を津軽の(三つもの)といい、独特の津軽三味線に乗せて息もつかせずうたいまくるのはまことに壮観です。津軽のことばはよくわかりませんが、ひとたび唄ともなれば母音を巧みに使てこころよいリズムをきかせてくれます。唄の盛んなことは隣の秋田県と双璧ですが、さらに数の多いことが今日の盛況をもたらしたのかもしれません。

 

(じょんがら節)は江戸時代の末頃うたわれた(越後口説)が伝えられて次第に今日の形となったものです。その変化の過程を(旧節)(中節)(新節)と区別し、現在は(新節)が歌われております。

 

三橋美智也は少年のころ、鎌田蓮道というひとから津軽三味線を習い、やがて名人白川軍八郎によってその奥義をきわめたのですが、伴奏者の木田松栄さんもまた数少ない津軽三味線の名手のひとりです。津軽民謡に欠かすことができない津軽三味線の味も堪能してほしいものです。

 

そ相馬草刈り唄(なんだこらよ

 

福島県相馬地方の労作唄です。家畜の飼料にする草刈り仕事にともなう明るくのどかな民謡です。一般に東北の民謡は暗いといわれておりますが、同じ草刈り唄の(刈干切唄)(宮崎県)と比較してみれば、その明るさユーモラスな節回しは正に逆で、素朴ながら土に親しむ東北の人情がほのぼのと浮かんでくるような民謡です。

 

草刈り仕事は、男女ともに行うため、恋愛感情とか、夫婦生活をうたった文句も多く、時には直接性に関するうたもかなりあったのですが、明るさとユーモラスな軽い調子が、よく調和してうまく全体をまとめております。(なんだこらよ)のみごとな締めくくり方は他に類をみません。戦後、相馬の堀内秀之進という人が(石投甚句)と合わせて(新相馬節)をつくられたといわれています

 

ま松前荷方節

 

(荷方)は新潟のことで、うたい出しの文句から(新潟節)と呼ばれたものが、やがて改作されて(荷方)となったのです。江差町の(お座敷唄)でヤン衆相手にうたわれた騒ぎ唄ふうの味を持つ民謡です。
同じ名の(秋田荷方節)はさらにこの唄の移入ともいわれますが。三味線のあしらいに独特の北海道的な工夫があり、越後の瞽女三味線を思わせる手法に面白さがうかがえます。

 

新潟県の祝い唄の(松坂)を改良した唄とは考えられない北海道ナイズされた民謡です。
(松坂)とよばれる新潟県下の(祝唄)は婚礼、正月若水汲みなどの祝い事に、威儀を整えて歌われたもので、津軽の(謙良節)ともなり、各地に運ばれてしだいに座敷の余興にうたわれるようになったと考えられております。

 

 

あ姉こもさ

 

(姉こもさ、誇らば誇れ若いうち)の文句から呼ばれた哀調ある民謡です。よく聞くと、どこかで聞いたことがある節だと、お気づきのことでしょう。
宮城県の(気仙坂)、岩手県の(御祝)などと同じ(銭吹唄)系統の作業唄なのです。
銭吹というのは、昔銭つくりの職人が製錬のためにふいごを吹きながら火勢を強めて作業したもので、その職人はたたら師ともよばれました。

 

昔石巻の銀座で働いていた斎太郎という職人が、事件があって島流しとなり、この唄を艪漕ぎ唄ふうに漁師唄に改作したと伝える(斎太郎節)と同じ節ですが、これは海唄らしい勇ましさがあるのに比して、いかにも山間の暗さを漂わせる美しい節であることが対象的です。秋田県仙北地方の民謡です。

 

 

ほ北海盆唄

 

渡島半島の北端、日本海の厳しい風波に洗われて突き出した積丹半島。その昔、鰊漁場として北海道一の漁獲高を誇った半島の漁村も、今は海を背にした平凡な生活を展開していますが、その東海岸にある高島町(小樽市)の(盆踊り唄)が(北海盆唄)です。入江に富んだ美しい海岸を背景に盆踊りを楽しむ人々、実は新潟から集団移住して住み着いた開拓者たちの故郷をしのぶ歌なのです。

 

北海道の大自然は、冬は零下数十度の厳寒もおとづれ、春も遅く、夏も短く、土地は広大であっても作物は豊かではありません。ただ海に生きる道南の人々は、海の資源を唯一の生きがいとして生活をささえてきたわけで、民謡に海辺の町の空気が漂っているのは無理もないことでしょう。
高島町一帯は昔、鰊の豊漁に恵まれたなごりをとどめて水産設備もよく、この町の北西余市町には北国の風情が美しく、りんご畑が展開し、またウィスキー工場もあって、札幌市の海の玄関口として栄えたところです。

 

 

いやさか音頭

 

北海道民謡の代表ともいえる鰊漁の唄です。鰊漁の作業唄は(船漕ぎ)(網起し)(切声)(沖揚げ)(子たたき)などの順序があり、中でも(沖揚げ)は(ソーラン節)として有名。
(子たたき)は、網についている鰊の子、つまり数の子を竹の棒でたたいて落とす仕事から生まれた名で、子たたき音頭、はやし言葉から(いやさか)(いやさかさっさ)などと呼ばれた(労作唄)なのです。唄い方も地域差があって二通りみられますが、明るく海の唄らしくおおらかさが漂っております。青森県の(鯵ヶ沢甚句)と同系の民謡です。

 

 

え江差追分

 

日本列島最北の北海道を代表する民謡(江差追分)は北海道を(松前)と呼んだ江戸時代からすでにうたわれていたといわれます。この唄は、前唄、本唄、後唄の三つに分かれていますが、以前は本唄だけが唄われていました。
前唄というのは北九州の平戸付近の海唄が変化したもの、また本唄・後唄は新潟県(越後)から移入した(馬子唄)といわれ、この三つをあわせた三部作で、故郷を離れて開拓や出稼ぎに来た人々の内地への郷愁をさそう哀調切々とした素朴な唄です。

 

北海道の玄関でもある渡島半島を(道南)と呼びますが、道南は特に民謡のさかんなところで、北海道民謡のほとんどが集中しております。中でも昔、福山といった城下町松前とアイヌ語で(昆布)の意味といわれる港町江差の二つの町は(追分節)の道場も開かれ、正調をつぐ熱心な後継者の育成が行われています。

 

三橋美智也は(江差追分)の名人といわれた三浦為七郎を叔父に持ち、9歳のとき(追分)を
うたって 全道民謡コンクール第一位となり、はなやかな民謡歌手としての第一歩を踏み出したのです。