三橋美智也ファンのページ記事一覧

能登めぐり三橋美智也、能登を歌う。石川県の能登半島、その独特な地形および海、「めぐり」がいのある所だと想像させられます。その地形がどのような風土と気風を作ったのやら。あまり夢を膨らませ過ぎてもいけないが、行かねばならない場所だと思いました。しかし道連れがいないのが悔しい・・・・!!2018.12.28 激れミッチー「ムーンサルト和尚さん」昭和54年小髭(兵庫)もう何て言って良いのやら。 長い間待っ...

ああ大阪城大ヒット古城に続く2作品目ですね。これも大阪夏の陣の、哀れさを、唄い込んだ素晴らしい作品でした。この曲は、大阪のファン(三橋さんのファンの集まり)の皆さんが、必ず誰かが、歌われる??唄だそうです、ただ古城より、キ―が一音域高く、正確に唄うには、より歌い上げる??力が必要とか??2019.3.,21あゝ新撰組当時小学生がよく口ずさんでました、後に何かの芸能記者が書いてました。子供がくちずさ...

三橋美智也 かすりの女と背広の男 究極版 スーパーベストANSAN K土本さま  先に、究極版の録音時期に関するお言葉がありましたが、この欄をお借りしまして、私の調べた結果(結論は分かりませんでした)をお伝えしたいと思います。 その前に、「かすりの娘と背広の男」で一言を。この曲は、吉田矢健治がかなりこだわりを持って作曲したもので、ラジオのインタビューで、「ギターの音が男性、フルートの音が女性で、ピ...

2018年11月3日三橋美智也「泣かないでかえろう」昭和45年6月raizoh ichikawa土本様、何時も有り難うございます。今日は一日中「泣かないでかえろう」を聴き続け、覚えて唄えるまでになりました。届けてくれたあなた様に感謝と、そのご縁を実感しております。これも「木下龍太郎」の詩、吉田矢健治のメロディーも、それはそれで泣かせるのでたまらないのですが、この詩を追いながら三橋美智也の歌声を聴け...

三橋美智也リサイタル 完 昭和47年9月30日青木悦行この翌年の美智也20周年リサイタルが郵便貯金ホールで行われその舞台は見に行きました。?ゲストが多彩で特に五月みどりが高校時代に三橋さんのファンクラブに入会したという話が印象に残っています。2018年2月「縁があったらまた逢おう」青木悦行8 か月前彼自身この明るい曲が大好きだったと元マネージャーが言ってましたね。2018年10月27日青木悦行「あ...

三橋美智也リサイタル 完 昭和47年9月30日 堺修介貴重な記録ありがとうございます。 昭和47年と云えば、三橋美智也の絶頂期からは10年を数えており、テレビなどでは稀にしかお目にかかれなかった頃かと。 そんな頃のリサイタルを今頃聴けるなんて夢か現実か?! 三橋さんの声・喉の素晴らしさ・異能性は昭和30年代前半が全盛でしょう。 しかし、歌の味わい・三橋節は円熟味が増した後年の方が上のように感じま...

2019,1,11  「流れ星だよ」昭和37年 竹澤勇司昭和37年〜38年は、三橋ならではの傑作が発表された時期で聴き込むほどに日本歌謡歌手史上最高のボーカルが楽しめます。流れ星だよ、大番、雨の九段坂、花の八幡船、あゝ太平洋など、いずれもセールス上は、初期の哀愁列車、おんな船頭唄、赤い夕陽の故郷等には及びませんが歌唱のスケールと声の魅力は、聴く者を唸らすものです。2019年竹澤勇司昭和40年代の三...

「南の風」昭和51年n.sadamatsu初めて聴く曲なのに歌い出しから引き込まれてしまいます。この歌、何とも切ないですねえ。 三橋さんの澄んだ声が余計に哀愁を誘います。桂浜は学生時代に訪れました。 何十年も経た今も、きっと変わらない風景がそこにあることでしょう。 書き写す手を止めて、心の中の風景に歌を重ねました。やっぱり切ないですねえ。 「あなた何処で 誰の妻」というフレーズ、そしてそれから最後...

吉松あきえこんばんわ。  土本さん。 三橋先生の メモリアル公演  北海道公演も、終わり  北斗市 に 先生の 記念館が。 代表・二條弘子さん も、感謝状を、贈られ 今日までの ご苦労が認められ  二條さんファンの 私が  拍手を。 又 土本さんのような、三橋ファンの方にも 拍手いっぱい 贈ります。 沢山の 新曲 ありがとう。2018年10月19日高橋勝「ネオンにふる雨」この頃、中学の修学旅行で日...