2019,1,11
 「流れ星だよ」昭和37年
竹澤勇司
昭和37年〜38年は、三橋ならではの傑作が発表された時期で聴き込むほどに日本歌謡歌手史上最高のボーカルが楽しめます。流れ星だよ、大番、雨の九段坂、花の八幡船、あゝ太平洋など、いずれもセールス上は、初期の哀愁列車、おんな船頭唄、赤い夕陽の故郷等には及びませんが歌唱のスケールと声の魅力は、聴く者を唸らすものです。

 

2019年
竹澤勇司
昭和40年代の三橋の声質は衰えたのではなく声が太く進化したというのがだとうでしょう。声のキーは変わらず太く柔らかく聴きごこちがまろやかになったので聴き手側からすると衰えたように感じます。40年代の曲から黒潮の男、鳴門海峡などびっくりするような高音が響きます。人間の声は変化し続けることを考えれば後期の三橋も柔らかさが魅力となりました。三橋自身、10歳の頃に吹き込んだ江差追分のときの声が後年出なくなり涙がでるというような話をしていたことから誰よりも三橋が変化した自身の声に悩んだ時期があったことがうかがえます。晩年の越後絶唱、筑波しぐれ、親子星などを聴いてみてください。三橋美智也の歌(声)が生涯をとおして日本人のこころを癒し続けたことがわかります。もちろん三橋美智也の昭和29年から昭和37年までの音源は民謡も含め今や国宝となっているのは万人が認めるところです。