A新しい民謡をうたう

 

作者のわからない古い民謡に対して、創作された民謡を一般に新民謡と呼んでいる。作詞作曲の明確な作者をもつ新民謡に対して、まったくわからないまま伝承されたものを単に民謡といっている。新民謡ブームとでもいうべき運動が盛んであったのは、昭和初年ゴロで、作詞者に北原白秋、野口雨情、西条八十、作曲者に中山晋平、藤井清水といった人々の活躍によるものであった。新民謡の多くは観光地、温泉地など選で用として委嘱されたもので、民謡調の詩に郷土的要素を加えたものが多く中には民謡を持たない町とか、古い民商にあきた町なども新民謡を委嘱して宣伝に役立てたものもある。大正末期から昭和初年のころようやくレコードが吹き込みができるようになってこの傾向はさかんになったが、不景気時代には(昭和5年ごろ)には衰えた。
ちゃっきり節

 

日本一の茶どころ静岡県の唄。昭和二年の新作で、北原白秋作詞、町田佳聲作曲の新民謡です。(ちゃっきり)というのは、茶切り鋏の擬音を題名にしたものです。
静岡県牧之原を中心とする茶の生産は幕末の横浜当時から企業化され、対外貿易の大きな収益となったものです。
明治維新後、徳川幕府の武士は新しい薩長政府に使えるのをきらい、自活の道をほかに選んだものでした。北海道の開拓もその一例ですし、(士族の商法と笑われながら商人に転向した武士もおりました。
牧之原に茶の栽培に入植ちた武士もその例で、このほか大井川などで働いた川場人足もともに平和産業に転向し、その努力は日本一の茶どころをつくりあげたのです。静岡茶の生産は歴史上ではもっとも古く、(駿河路や花橘も 茶の匂ひ」と芭蕉の句にもあるように、元禄時代から盛んであったことがわかります。
茶の葉を摘む5月はまだ白い富士を望み、しろい手ぬぐいをかむり、赤いタスキがけの茶摘み娘がいそいそと働く風景は、なんといっても東海道の絶景です。富士と茶とみかんと日本一がそろう中に、街道一の親分・清水次郎長を加えて、名物を歌いこんだ歌といえましょう。十日町小唄

 

新潟県十日町市にうたわれる新民謡です。作詞永井白眉、作曲中山晋平の両氏。昭和四年に完成したといわれますから、四十年以上経た古参ともいえる唄で、新民謡よりは、民謡と考えた方が適切かもしれません。もっとも作者の明確な唄を(新民謡)と呼んでいるのは一つの分類なのですが。十日町は積雪量の多い信濃川中流にあり、古くから越後縮の産地で有名です。明石縮というのも高級品なのですが、織物の宣伝につくられた越後情緒豊かな民謡で作者の苦心の跡がうかがえるよい唄です。

 

剣崎大漁節

 

神奈川県三浦市の東端松輪はタイ、サバの近海もので知られる漁村である。この地に古くからある(松輪甚句)に漁船の航海を祈る船玉信仰の言葉を取り入れて新作したもので、作詞は私、作曲は三橋美智也の全く新しい民謡である。新造船の進水式の際に航海安全、豊漁祈願をこめて船玉さまをまつる習慣が以前にはあった。
小さな箱のなかに人形、髪の毛、くしなどが入れられ、サイコロが二つ、三つ目をむけて重ねられてある。神主のお祓いの後、この船玉様は密封されて船の中央底に納められる。魂としてまつられるのだから,終生再びその姿を見ることなしに、舩と共に命を全うするのである。
このサイコロが正面三、上が1、左右2と5、裏が四、下が六となる位置におかれてあり、(天一地黒、右舵ぐっすり(五)左舵にっこり(二)、船は四三の波をのりきる。)という祈りを暗示している。
(天一黒地)とは空に一つの雲もなく、下は魚で真っ黒という意、右舵ぐっすり)はエードモという右舵から荷物乗り降りする位置で、船の安定を意味している。(左舵にっこり)左舵から荷揚げする。大漁でにっこりという意、(四三の波)前方左右からよせる危険な波ものりきるという意味である。
また吉野瀬、根中手本、岩堂出しというのは、魚種も豊富な漁場であって、吉野瀬はイサキ、根中手本はタイ、ヒラメ、岩堂出しはイカの漁場として有名である。
剣先灯台から城ヶ島へかけての沖合漁場の名称である。
三浦海岸北下浦に二年ほど住んでいた歌人若山牧水は「東南風吹き沖もとどろと鳴りし一夜咲き傾き白梅の花)と詠んでいるが、この地方の東南風は漁師の骨休みの風であって、最も危険とされているのである。
いささかな概説であるが、日本の民謡の中で生活と密接したこの種の歌詞はめずらしいので、解説にとまどうふしもあろうかと、蛇足をくわえさせていただいた。

 

外が浜音頭

 

津軽の民謡家成田雲竹氏の作詞、作曲による(新民謡)です。外が浜は青森県津軽半島の最北端で、卒土ノ浜という辺土を意味した呼び名です。歌の文句にもあるように、津軽海峡を北にし、下北半島を東に臨む本州の西北端竜飛岬の、冬のきびしい自然をもつ地域で、北海道への出入り口として重要な場所であったところです。現在は青函トンネルの開堀作業がつづけられており、やがて北海道への開通とともにさらに重要な地理的役割を果たす場所になることでしょう。

 

 

 

 

八丈米つき唄

 

東京都伊豆八丈島の民謡、太鼓ばやしの奥山はつさんが鼻歌でうたってくださったものを、作曲家の山口俊郎氏によってまことに面白く、しかも南方土俗てきな味わいのあ唄に編曲された。あくまでも歌謡曲や童謡ではなく民謡的情緒を失っていない。民謡の不思議は魅力のためであろうか。

 

網のし唄

 

茨城県の海岸に伝わる(漁師唄)です。鮪漁に使用する網の目の手入れ作業の唄ですが、近年しだいに有名になって広く唄われるようになったものです。
(のせやのせのせ 大目の目延し のせばのすほど 目が締まる)網の目をのして締めるという唄の文句でもわかるように、漁休みの時、浜に出た漁師は網の手入れに時間をかけて、その結び目を締め、また破れ目の繕いをするのです。これは
かなりの力仕事ですから、大勢の手が必要で、唄の一つも唄いながら気を揃えたことなのでしょう。いかにも(仕事唄)らしい内容の民謡です。