三橋美智也データーベース記事一覧

よく言われているのが、初期の声はよかったが、だんだんわるくなったというものだ「晩年の歌はUPするな」というファンもいる。例えば、三橋さんの生涯を支えられた二條弘子さんの本にはこんな記述がある。「例えば昭和31年に吹き込んだ「リンゴ村から」と四十一年のそれを聴き比べればその違いは歴然としていますよ。どっちがうまいかと聞かれれば四十一年のほうなんです。歌の解釈も細かいテクニックも断然進歩していますから...

私のYouTube三橋美智也ファンの土本基子が消されてしまう。三橋美智也2も同様の憂き目にあいそうだ。たぶん2,3日中に、消えてしまう。浅井勇さんの話では、三橋美智也さんのプロヂューサーが著作権の裁判で負けたという。それで相手は強気である。しかし、時の流れにはレコード会社は勝てないと思う歴史が文化をまもると思うからだ

1、ああ新撰組 2、ご存知赤城山(国定忠治)3、ああ田原坂(西郷隆盛) 笹川月夜、籠つるべ ああ想夫恋、旅行く一茶一本刀土俵入り、折鶴三度笠、利根の夕焼け、重の井別れ、風流弥次喜多節、ああ大阪城、花の八幡船、武田節ああ城山、新選組の唄、乃木将軍の唄、ああ日蓮、大番、徳川家康(泣くまでまとう時鳥)徳川家康(家康の生涯)梅川忠兵衛、明治一代男、ああ新戦場、二本松少年隊、ああ源氏武士、源義経「、源氏の若...

これは大変な記録なんだということじわじわ、わかってきました。若原一郎さんの「おーい中村くん」(昭和33年)が50万枚のヒットだそうです。この曲は、大ヒットだとおもっていましたが、それが50万枚ですから、三橋美智也さんの「古城」が300万枚という記録はたいへんなことです。そのミリオンセラーが30曲ですよ。けた違いの大スターですね。小椋佳さんは、「三橋さんのレコードを、発売するたびに買っていた」といっ...

?20年代昭和30年代?昭和35年昭和35年昭和36年昭和36年昭和37年昭和37年昭和38年昭和38年昭和41年3月昭和42年3月昭和42年5月昭和42年9月昭和46年5月昭和50年8月

歌ひとすじの中にでてきますが、三橋さんはボイラーマンだった時に、虚弱体質だった体をきたえあげ、「私はオヤユビとヒトサシユビでビールのセンを簡単に二つに折ってしまう特技をもっています。今年私といっしょに北海道に行った大津美子さんや西村つたえ江さんは「今日は三橋さんはいくつつぶすかしら」と記録をとっていたほどです。何日ステージがつづけても倒れない体は、ここの仕事によって作り上げられたものと言えるでしょ...

マドロスものについて 歌ひとすじに P87より39 敬愛する春日八郎さん「君は海鳥渡り鳥」は春日八郎さんの「別れの一本杉」とカップルで出されたものです。作詞は矢野亮先生、作曲は真木陽さん、私が幼少のころから歌いつづけてきた日本民謡の語呂廻しを、うまく流行歌に転化した曲と言えましょう。そして、やわらかくこころの底から情をこめて歌えるマドロスものです。こういった「海」を主題にした歌には、私はものすごく...