「三橋美智也、春日八郎 未発表歌曲の発売に就いて」 キングレコード専属作詞家 矢野亮

 

 最近の演歌ブームは大変なもので、久しくロック、フォーク、ニューミュージック等の外来歌謡の中に埋もれて消えるかに見えていたのだが、抑えつけられていた底流が吹き出して来る様な勢いで、第一線歌謡陣に肩を並べだした。
 大体日本の大衆歌謡の歴史を見ると、演歌から始まったレコード歌謡が外来の歌謡に圧えられ、しばらくすると又表面に現れてくるという幾度かの繰り返しを行ってきた様である。
 今回の場合は、外来のものがテレビ等の視覚的媒体の力も加わって大変強力であったためにその周期が遅れていったので、演歌という日本人の中から生まれた独特の歌謡が、大きな変化をしてしまったのではないか、との説さえ出てきたほどであった。しかし、やはり日本人の本質的なものはそんなに急角度に変わるものではなく、ジンクス通りに演歌の時代が来たものとおもわれる。
 もっとも大衆歌謡というものは、歌は世につれ等と、言われる様に、演歌それ自体も発生当時から全然変化がないわけではなく、時代とともに次第に変わってきたことは当然で、本質的な演歌の条件を内蔵しているだけで外形はかなりの広がりを見せた歌謡ができているのはご存知の通りである。
 ただその演歌の本流を流れるものとして、所謂本格演歌等と俗称されているものと、日本古来から民謡の影響を多分にうけている民謡調演歌の二本がある様に思われる。
 もっともこの二つの間に画然とした区別があるわけではなく、一方は、明治15、6年頃に東京の街々にでた演歌師が即興的に歌った独特のメロデイーを基調として発達してもので、一種の流し唄的なものであり、一方は民謡を基調として大衆歌謡の形式に発展したもので、どちらにしても日本人が持つメロデイーつまり音の流れと、の日本語のもつ区分節度的なものからでた歌謡形式に変わりはないものだと思う。

 

 

 

 

 だから、日本人が日本人である限りこの演歌が周期を以て大衆歌謡の中に現れてくることは一部の人々が言われるような恥ずべきことでもなく、当然の事であると言える。
大分前説が長くなったが、私は此処で演歌の説明をしょうとしているのではなく、今回三橋美智也と春日八郎という二大演歌の各2枚組、しかもその全盛期の未発売演歌の発売について、両名の演歌の基調と、演歌の流れの中での位置を知って欲しかったわけである。
キングレコードは主として民謡的な歌曲から出発した会社で、伝統的に、演歌民謡には大変すばらしい歌手を育てたり、発見したりする特徴を持っている。然も一大演歌ブームを出現したのは、演歌の二大巨星である三橋美智也、春日八郎の両名を車の両輪のようにフル回転させた昭和30年代の約10年がその一つのピークという事ができると思う。
 既にファンならずともご存知のようにその間に於ける両名のヒットの数は目を見張るものがあるが、実際にはその陰にかくれたそれ以上の数の歌曲が録音されていた事はあまり知られていないと思う。
 現在のレコード会社の制度はプロデユーサーシステムをとり、その歌手も各プロデユーサーに属しており、従って各歌手の企画も方針も大体一定しているので、録音に至る歌曲も極端に限定されるようになってきた。
 然し当時のキングレコードでは、各歌手は一定のデレクターに所属せず、各デレクターは自分の企画で自由に歌手を選ぶことができた。
 誰でも、良い歌を作るためには自然良い歌手を使用することが多くなるのは当然なことで、三橋美智也とか春日八郎に当てた歌曲の数は大変多数になった事は想像できることと思う。私の記憶でも一日数曲の録音が、異なったデイレクターの手で行われたのを知っている。
 ところが 実際に発売される曲数というと、同じ歌手のものは表裏2曲ものが一枚あるいは、せいぜい特殊な場合は2枚程度で、それでもこの両名は毎月の新譜がヒットとなっていたものである。勿論その発売されたものは多数の録音の中から選ばれたのはいうまでもないことであるが、発売新譜にはひとつの会社としての方針もあり、他の歌手作品との対比だとか、同じ歌手でも既発売盤との対比などいろいろ条件があるもので、不幸にして未発売となったもの、必ずしも作品として悪い出来であったとはいえない。
 そこでレコード会社の在庫の中にはこの種の未発売歌曲の素晴らしい原盤が多数死蔵されてしまったわけである。
このたび、これに目をつけた演歌ファン、特に三橋、春日ファンからの熱烈な要望もあり、たまたまキングレコードの創立50周年の特別行事の一環として、彼らの全盛時代の未発売歌曲数10曲のなかから、各24曲を選出し、2枚組のアルバムを発売す ることになった。
 春日八郎のスタートは例の「赤いランプの列車」が昭和27年12月であるから、以後昭和40年に至る録音の中から…。三橋美智也は、昭和29年1月の「酒の苦さよ」がデビューであるが、例の大ヒット「おんな船頭唄」が昭和30年4月であるから。以後約10年に亘る録音の中のもので、つまり三橋、春日が完全に演歌の両輪として大活躍をしておった時代の未発売盤の集大成といっても過言ではないと思う
 春日八郎がキング専属となったのは発売数年前であるが、この間、その天性的美声に加うるに、三門順子の前座などで血の滲むような研鑽を経ており、『赤いランプの終列車』のデビュー曲でみせた歌唱法はスタートから既に円熟の境地をみせている。素晴らしく強靭な声帯は今尚衰えをみせないが、やはり若さには若さの良さがあり、特に昭和30年11月新譜として発売された『別れの一本杉』は所謂本格演歌のピークと言われているだけに、その一貫したオーソドックス演歌の技法は既発売の大ヒットの数々と聞き比べて大変参考になるのではあるまいか。
 又三橋美智也は「子供の時からの民謡の系譜であり、その上民謡の宝庫である北海道、東北でこれ亦血のでるような修業を受けてきた民謡歌手であり、そのスタートの『酒の苦さよ』も、既存の東北民謡を基にした新民謡である等で、例の『おんな船頭唄』は典型的な民謡調演歌の傑作と言えると思う
 勿論現在も三橋流民謡の家元としてその道の一方の雄として活躍しているが、発売当時の高音部の張りと艶とは歌謡ファンをしびれさせたもので現在の大家らしい円熟味と異なった若々しい彼の高音部の魅力はさすがに聞きものであると思う。
 『おんな船頭唄』の発売直後で、まだ一新人歌手にすぎなかった三橋美智也と共に、私は東北地方の田舎を巡業したことがあるが、町外れの小学校の講堂で、たった10数名の聴衆の前で歌ったお得意の『相馬盆唄』の素晴らしさに、全く惚れぼれと聞き入ったことを今更ながら思い出しているが、その当時の声の再現は私自身も大きな楽しみなのだから、彼のファンには待望の企画ということができると思う。
 私はキングレコードの専属作詞家として春日八郎、三橋美智也の両名とはデビュー当時から今日まで長い間友人で、私の作品ででの両名のヒット歌謡も非常に多数持っているが、勿論今回発売される未発売の歌曲の中にも私の作品が幾つかはいっているのではあるまいか等とこの紹介文を書きながら勝手に考え、皆様と同様楽しみにしているのである。
 演歌ブーム再来の今日、本格演歌の一つのピークである春日八郎と民謡調演歌の一つのピークである三橋美智也の最盛期の録音、しかも全曲未発売のLPの企画は、色々な意味の上からも両名のファンばかりでなく広く演歌ファンの待望のものに違いないと推薦する次第である。