ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聞きに行く

 

石川啄木がうたった故郷への郷愁は、そのまま日本民謡が持つ郷土性にも深いつながりがある。もともと民謡はその土地の生活感情からうまれてもので、郷土の詞や生産労働など、生活環境のあらゆる要素が織り込まれてつくられた日本人の歴史的な遺産ともいえる。民謡を古老のなぐさみと思い続けた都会の若い人々にも、「故郷」というものの価値観が高く評価されだすにつれ、しだいに民謡の持つ深い意味と味わいが認識されて来た。

 

ことに日本語の音楽的な美しさ、方言と鉛の魅力て居な味わいなどが、懐かしい故郷の風景とともに、鮮明なノスタルジアとなって、強い印象を与えたかもしれない。
今日、郊外と自然破壊に苦しむ日本各地で、美しい故郷の自然と社会を保護しようと寝る忘する声は多い。しかしそn故郷は過疎の現象になやみ、農地転売の影響をうけて、昔日の面影をなくそうとしている。
さらに青年層の意識も進んでか、つよい方言も失せて、標準語で話すようになり、昔懐かしいお国訛りがあまりきけなくなってきたという。「言葉の訛りはお国の手形」といわれた生まれ故郷の証明書がしだいに失われて来たのだ。「故郷へかえっても、なつかしい子t場が聞けなくなった」と嘆きににた懐古の情で、変わりゆく故郷を想う人々も多い。こういう現象の中で、民謡だけが古い面影をとどめているはずがない。啄木の唄の如くに「聞かば懐かし国訛り」の感じ方が時代によって変わってゆくのもやむをえない宿命なのかもしれない。
現在、一般に普及している民謡も明治・大正・昭和の三代を経て、唄い方や曲の感じの取り方などに変化のあとがみられる。民謡もまた、いつまでも古きに固定できるものであることの証明であろう。もよもと民謡本来の価値は,古調素朴な歌い方を尊ぶものであるが、あまり郷土性とか伝統性のみにとらわれていると、時代の要求に追従できず滅びてしまうという運命を持っている。
こお20年来の日本あっくちにおける古典的民謡が、伝承者と共に消滅した例は少なくない。そこで古典的民謡の採取保存がさけばれ、レコードやテープにきろくされる必要が生じて、各地にも「保存会」が添乗したり、放送では民謡の時間がもうけられて地方の珍しい歌の紹介につとめるなど、宣伝、普及の運動がつづけられてきた。幸い「民謡ブーム」というものがッ全国的にやってきて、郷土意識の高揚と相まって各地の埋もれかけた古い歌や、郷土自慢のう¥すばらしい裏などがさながら競演会のごとくに演奏され、大衆の心をとらえて、民謡の持つ不思議な生命力が発揮されだしたのである。
さて、民謡の流行によって、都会にも地方にも愛好者による会が組織され、多くの師匠が唄を指導するに及んで、種々論議をよんだのは「正調」とは何か、ということであった。
ブーム過剰にいささか飽きて、素朴な歌い方を好む傾向が生じると、何事もせんさくしなくれは気の済まない人々の間に、民謡の元唄というもおが流れ、より古典的な唄に近いものを正調として尊び、故郷の純粋素朴な味わいを再認識するという、古典復活的空気がうまれてきた。ここに再び民謡の価値とか純粋性というものへの見方に対する考え方を通して、背dんぞ伝来伝承してきた唄を単に愛唱するだけでなく、その源流をもたずねてみようという意欲的な研究もおこなわれるようになってきたのである。一方民謡のすぐれた音楽性を洋楽の五線譜にのせて、オーケストラや和洋合奏にアレンジしたり、海外へ紹介して日本民謡の戦前に勤めるなどで、背局的に新しい意欲をもって開拓をこころみている活動もある。

 

私が民謡に興味を持って、各地へ採取旅行にでかけたのは、今から20年前のことである。その頃の農村、漁村で古い民謡を聞かせてくださった老人たちは、ほとんど他界されてしまったが、わたしはそれらの人々から本当の民謡を教えられたと思っている。群馬県の碓氷峠の坂本宿で、昔、駕籠をかついだ武井宇吉じいさんは「小諸馬子唄」は私の唄だといっていた。
実際に馬子もやった。昭和初年に放送局へ行って歌ってみたが、その後全国的に有名になって、声の良い人がうたうと歌が生き生きするものだとつくづく感心したという。
また奥能登の輪島市の海部部落の先にある漁村で、沖崎鉄次郎さんというお年寄りは、わざわざ正装して「あのり」という船下し祝い唄をうたってくださった。12月29日という年の瀬もおしつまった雪の朝に「私どもはこの唄をうたうときは正装正座してうたってくださったのである。
伊豆の妻良では、法楽会というお年寄りの会合の席で、90になれれる高橋テウさんがわざわざ着物に着替えて妻良の盆踊りを踊ってくださった。のちにNHKの新日本紀行で拝見したときは私は涙が出るほどうれしかった。民謡を通してふと知り合った、ただそれだけのことなのになぜか親切な人々の名は20年たっても忘れられないのである。
実際に日本各地を巡り歩いた記憶の中に、そのころとはすっかり変わってしまった風景に接しても、唄を歌ってくださった人々の名前がすぐに思い出される。
民謡の本当の意味とは家元とか正調とかの論議ではなくて、体をぶっつけて一生顕命うたう、唄の意味をわきまえて、一途にまもりぬいてきた名もないひとびとのがうたう民族のうたであるということだ。
さらに漁師が「大漁節」や「蕗漕ぎ唄」をうたい、木挽き職人が「木挽き唄」をといった工合に、実際にその生業に従事にした人々がうたう民謡こそ、真の価値のある民謡の本質だと思う。ここ2.30年の間に、実はそれらの人々がなくなられ、声のよい人を頼りののど自慢で満足しなければならない時代となってしまった。仕事も機械化され、「仕事唄」本来の意義も失われて歌だけが残された。
この歌も、またサラリーマンの世界で、精彩を欠いたちからなき民謡となる心配がある。
そこでどう民謡の情緒を残そうか、ここに大衆の要望するところは、民謡本来の世界を知っている三橋美智也のようなひとびとに、もういちど民謡の原点に立ち返ってもらって、本当の民謡を歌ってもらいたいということである。