「雪の泉岳寺」は 「三橋美智也の忠臣蔵」のレコードアルバムに収録されています。
作詞はすべて藤間哲郎さんです。 作曲は、細川潤一さん、吉田矢健治さん、中野忠晴さん、山口俊郎さん、飯田三郎さん、佐伯としをさん、桜田誠一さん、林伊佐緒さんという三橋美智也さんのミリオンヒット曲ーメーカーのそうそうたる方々です。 雪の泉岳寺は飯田三郎さんの作曲です

 

赤穂義士の討ち入りは、元禄15年12月14日(1703年 1月30日)深夜です。 ウキぺディアによれば 泉岳寺(せんがくじ)は、東京都港区高輪2-11-1にある曹洞宗の寺院。 慶長17年(1612年)に徳川家康が外桜田の地に門庵宗関を招いて創建した寺院。寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失したが、徳川家光の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名により、現在の高輪の地で再建された。赤穂事件で有名な浅野長矩と赤穂浪士が葬られていることで知られ、現在も多くの参拝客が訪れる。毎年4月初旬と12月14日には義士祭が催されている。また境内に、赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」がある。 長矩正室の瑤泉院(阿久里)、長矩実弟の浅野長広(浅野大学)、長広の代々子孫の墓所も当寺にある。 義士の討ち入り後、当時の住職が義士の所持品を売り払って収益を得たことに世間の批判が集まり、あわててこれらの品を買い戻しに走ったことがある。それでもなお大半の遺品が散逸し、21世紀になってから発見されたりする刀剣が続出している。(引用終わり)

 

住職が勝手なことをしようと思っても、世間の目がゆるさなかったということは、江戸時代の人々の清新な心を伝えて、素晴らしいとおもいました。 忠節の鏡となった赤尾義士に対する庶民の人気の程が窺われます。

 

 三橋美智也さんはどのように歌っているでしょうか

 

「ながきーぃくせつに ことなーぁりぃてぇー」

 

 「まゆにーぃまぶしき あさひぃのでぇー」                  

 

「とーぉのぉのぉごぜんにぃ しるーぅしぃをーぉとぉー」

 

 「こころはいそぉぐ せーぇんがぁくぅじぃ」

 

 

飯田三郎さんはクラッシックも数多く作曲されています。
私には「雪の泉岳寺」が ショパンの葬送行進曲に聞こえてしまいます。 「忠臣蔵」にクラッシックをもってくる飯田三郎さんの創造力豊かさに圧倒されます。
 三橋美智也さんの声と歌唱が哀愁をおびて、行進曲を味わい深いものにしています。