燕が帰る

 

三橋美智也さんのミリオンヒット曲メーカーの作詞横井弘さんと作曲の吉田矢健治さんです。 三橋美智也さんは横井弘さんのことを自書「ミッチーの人生演歌」の中で 「横井弘先生も非常に純情派、ナイーブ派の方でしょう。万年青年みたいに、いつも若々しいのです。お酒もだいぶ強い方です。 「哀愁列車」「俺ら炭鉱夫」「赤い夕陽の故郷」と数えあげたらきりのないほ私の作品リストにのっています。 なかなかのヒットメーカーで、キング・レコードでは貴重な存在でした。 「銀座の蝶」(昭和33年大津美子)「川は流れる」(36年中曽根美樹) 「下町の太陽」(37年倍賞千恵子)「さよならはダンスの後に」(40年倍賞千恵子)「虹色の湖」(42年中村晃子)といったヒット曲も横井弘先生が生んだものです。いつも人当たりがやわらかく、酒を飲んでも乱れず、マスコミ関係者の間でも評判がよかった方です。」 と書いています。

 

 

 

 この「燕が帰る」は横井さんらしい牧歌的な歌です。 愛馬との別れを描いた「達者でナ」も横井弘さんです。 「燕が帰る」の方が「達者でナ」より先に発売されています。
「燕が帰る」は身近な鳥である燕と人間との共生を描いています。 ツバメは人と自然の共存を考えるうえで重要な指標となる生き物で、ツバメのエサ場は水田や耕作地で、巣作りは日本家屋です。 昔から稲の害虫をたべる益鳥として、大切にされてきました。 春から夏を日本で過ごしたツバメは、9月中旬から10月の終わりになり気温が下がると、餌となる昆虫が少なくなる日本を後にして台湾やフィリピン、マレー半島、オーストラリアなど3000〜5000kmも離れた南の国へ移動します。

 

 

 

「燕が帰る」は9月から10月ごろのうたですね。 澄んだ秋空のもと、すすきを「ほーいほい」とふる情景が目にうかびます。 三橋美智也さんはどのようにうたっているでしょうか。

 

 

 

 「つばめがかえるぅ ほーぉいほいッ」
                            はずむ
「そらはあかるい いわしぐもぉー」
 「なーぁんのぉーみぃやぁげぇぇも なぁいけぇれぇどぉー」
                  語呂    巻舌
「たーぁびぃでぇ おいらぁをぉ わーぁすぅれぬよぉぉにぃー」                               
                              語呂 ビブラート
「せめてすすきを ほーぉい ほいッ ふってやぁぁろぉー」                                  
                         鼻音語呂    ビブラート

 

 

 

「燕が帰る」は「達者でナ」より前に発売されています。 その共通点をみつけました。 「達者でナ」と同じ、タタタツタタ タタタンのリズムにのせて、三橋美智也さんは軽快にうたっています。 作曲者は「燕が帰る」が吉田矢健治さんで、「達者でナ」は中野忠晴さんで違いますが、「燕が帰る」と「達者でナ」は兄弟みたいな名曲だと気が付きました。

 

 

 

 昭和34年12月発売

 

 

 

作詞 横井弘

 

作曲 吉田矢健治

 

編曲 小町昭

 

 

 

燕が帰る ホーイホイ

 

空は明るい いわし雲

 

なんの土産も ないけれど

 

旅で俺らを 忘れぬ様に

 

せめてすすきを ホーイホイ ふってやろ

 

 

 

燕が帰る ホーイホイ

 

ともに田植えを したっけな

 

野良の帰りにゃ 川端で

 

遠い都の 祭りの話

 

声がいまでも ホーイホイ するようだ

 

 

 

燕が帰る ホーイホイ

 

背のびしたとて もう見えぬ

 

今日の別れは せつないが

 

お前しのんで 軒端の手入れ

 

逢えるその日を ホーイホイ 待っている